「うみのいえ」は、暮らしの実践の場です。
暮らし、つまり衣食住だけでなく、芸術教育も含めたヒトの営みの全てを、できる限り自分たちの力で実践していこうという考えを、取り組みの根幹に据えています。

なぜ、”自分たちの力で”実践するのか。
それは、うみのいえを始めた僕(自己紹介)が過去の18年間の東京暮らしで感じてきた”危機感”の裏返しでもあります。

都会暮らしで感じた危機感

それは、「僕らはヒトとして確実に弱くなってきてるな」という危機感です。
そして、その根本的な原因は、僕らが”自分のことを他人に任せすぎている”からだと考えるようになりました。

ヒト=動物+ヒトらしさ、だとすれば、まず動物として生存するための衣食住を営む力を個々人で失いつつあります。
例えば、僕(や、おそらく多くの現代人)はニンジンの育て方を知らないし、シャツを縫うこともできません。掃除も洗濯もその他の家事も、ロボットや次々生まれる新しいサービス(=他人)がやってくれます。おのずと、その過程で生まれる課題を創意工夫で乗り切る、ということもやらなくなりました。
それに、衣食住の過程を手放したことで、自分の見えているものの前段階・後段階に想像が及ばなくなりました。想像が及ばない物事に対しては責任感も生まれません。
今着ているシャツの綿の畑は、どんな森を切り開いたところでしょうか。ボタンをつけている人は、どんな暮らしを送っているでしょうか。

また、ヒトらしい営みである芸術や遊びも他人任せになりつつあります。
日頃触れるコンテンツはシステムの”お薦め”から選び、趣味を始めるにも用意されたスターターキットが面倒なプロセスを肩代わりしてくれます。
そうやって他人に任せていると、与えられた快楽で満足して、みずから失敗と成功を重ねて探究したり、自分自身の好きや得意や他のいろんな個性を根気強く根元まで掘り下げなくなりました。
そして、省略された退屈や苦痛にはもはや耐えられなくなってきました。
この頃は、長編映画や長編小説を辛く感じることが増えた気がします。

手足を動かす力、工夫する力、想像する力、責任を負う力、個性を深掘りする力、忍耐する力。
失いつつある力を並べてみれば、それはこれからの(これまでも)ヒトにとって失ってはいけない大切な力であることがわかります。
何より僕らの子どもたちからこの力が失われることを想像すると、寒気がします。

それに、僕らが暮らしを他人任せにすることは、僕ら個々人を弱くするだけでなく、社会全体も弱くしています。
例えば、他人に任せることによってモノやサービスの供給プロセスはより複雑になり、非常時になるとすぐに混乱・停滞するため(感染症が流行すると給湯器が供給できなくなる、なんて誰が想像していたでしょう)、僕らが生きる・愉しむための仕組みはとても脆弱です。
そもそも、その非常時の頻発は、僕らが暮らしを手放した結果でもあります。
僕らは、想像力や責任感の不足で刹那的に暮らした末の気候変動・異常気象だったり、他人に依存し世界が繋がりすぎた代償としてのパンデミックだったりを経験している真っ最中なのです。

暮らしを取り戻す

そこで、僕、それに僕ら家族は、自分たちの手に暮らしを取り戻すことにしました。

まずは、他人に任せること(≒モノやサービスを買うこと)に溢れた都市から自分自身を切り離すため、また暮らしに必要な環境と資源を求めて、東京から福井県池田町に移住し、古民家と山を譲り受けました。
この場で、できる限り自分たちの技術と身の回りの資源を使って、新しい暮らしを再構築することにしたのです。

ただ、まだ何の力もない僕らだけでは、その再構築はできません。また、暮らしそのものやそこから得られる経験や新たな考え方・技術・仕組みなどは、できるだけ多くの人と共有したいとも思います。
そこで、皆の力を持ち寄り、また暮らしを共有するための基盤として「うみのいえ」プロジェクトを立ち上げ、一般社団法人うみのいえとして組織を整えることにしました。

“うみ”には、績む・産む・熟むという意味を込めました。
績むとは、麻を繊維にすることを指し、これからの衣食住の営みの象徴でもあります。
また、新たな暮らし方を産み出したい、あるいはその暮らしは創造的であってほしいという願いもあります。
そして、ここがヒトとして熟すための場でもあってほしいのです。
(それから、受動的な快楽で暇をつぶすぐらいなら、いっそ退屈な”倦み”の時間の方が大切だろう、という気持ちもこっそり込めています。)

暮らしの中身

では、その暮らしにはどのような要素が含まれるでしょうか。
生きるために必要な衣食住は簡単に想像がつきますが、それだけではありません。
生存とは直接には関係のない芸術や遊びといった要素もヒトをヒトたらしめる大切な営みですし、これらを次の世代へと繋いでいく教育も暮らしの一部です。

やっていくこと≫

うみのいえでは、これら暮らしにまつわる全ての要素を、実践していきます。
ただし、全ての要素をいきなり完全に自給する事は、不可能です。それに、僕らは過去の暮らしを通して言わば”甘やかされた”状態です。
よって、うみのいえでは暮らしを”徐々に”そして”可能な限り”自分たちで実践していく。
実践できないものは、”せめて知っておく”という2つの方針をとりたいと思います。

暮らしの実践だけでない役割として

うみのいえは、暮らしの実践の場です。
一方で、暮らしには多くの要素(生きることの全て!)が含まれるため、結果的に過疎地における多くの役割を担い、過疎地の課題解決のための一手、あるいはモデルケースとなるとも思っています。

例えば、自分たちの技術と資源による衣食住は、おのずと脱炭素・脱プラスチックにつながります(石油は自分たちでは掘れないし精製できません)し、限られた資源の効率を求めれば、おのずと循環型の暮らしに近づいていくでしょう。

また、資源の確保のために山に入ることは、里山の荒廃を防ぎ、里村での獣害被害を減らすことにつながります。

あるいは、暮らしのために芸術を愉しもうと芸術家を招き、滞在してもらい、芸術を披露してもらえば、それは芸術家の創作を支援する「アーティスト・イン・レジデンス」の取り組みになりますし、過疎地における芸術供給の1つの形にもなります。

さらには、暮らしを基盤とした教育を自分たちで手掛ければ、それは過疎地における公教育以外の選択肢の提供につながり、都市との教育の厚みの差の是正、さらには都市にはできない特徴的な教育の提供が可能になるかもしれません。

何より、これらを実現するための拠点は古民家を改装しただけの小規模なものであり、維持管理は住み込む家族が手掛けますので、設備や人員にかかるコストも抑えられています。
構造的にヒトもカネも不足している過疎地における、この”最小複合施設”のあり方が、1つのモデルケース、あるいはその実験となることも期待しています。

ここは、地域の人、もっと遠くの人、子どもやお年寄りや芸術家、いろんな人々が集まる場所になるでしょう。
そうなれば、おのずとここに集う価値観や考え方も多様なものであるはずです。
うみのいえは、誰も窮屈さや限界を感じない、多様性の保たれた、母なる海のように開かれた皆の拠り所で在りたいと考えています。

令和4年4月
米村智裕